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生嶋 宏光HIROMITSU IKUSHIMA

生嶋 宏光Hiromitsu Ikushima

  • ■ Birth : 1971/08/03
  • ■ Profession : 会社員
  • ■ Marathon personal best : 2:41’50”

マラソンを始めた理由

小さい頃から走ることは好きだったが、小学6年生ごろから急に走るのが速くなった。 野球部だったが学年で1番になり、校区内小学校駅伝で1区区間賞&優勝️。
中学に入り同じく野球部に入部したが、練習でも走るのが好きで、中学2年の県総体では1500 mで野球部ながら県5位(4´26”)になった。
それをきっかけに陸上部に部活変更し、本格的に陸上・長距離に取り組むこととなった。

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高校は県内駅伝強豪高の高松工芸高校に入学し、1年・2年は貧血・故障に悩まされながらも、3年時に念願であった全国高校駅伝(第40回大会)にアンカーとして出場。
大学は地方の福井工業大学に入学し、出場目標だった全日本大学駅伝に1年時から運よく初出場することができた。
その後3年まで出場したが、4年時は夏のオーバーワークによる調整ミスで補欠となった。

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初フルマラソンで2:41’55”

社会人になり地元のクラブチームに所属し、1999年、27歳の時に初フルマラソンに挑戦。 初フルで2時間41分55秒、30kmの壁を経験せず走り切った。その時の練習内容は、アップダウンコースで90分~2時間LSD+WSをメインに徹底的に走り込みを行っており、これならすぐサブ40は出来ると翌年サブ40を目指して走るも、フルマラソンはそんなに甘くなく、後半失速して53分台。
3年後、3回目挑戦で5秒記録更新したが、その後4回目のフルマラソンとなる防府マラソンで足の故障を押して出場、49分台で完走するも、それから故障が長引きフルマラソンを数年間走らなくなる。

アミノサウルスとの出会い

34歳の時に、久しぶりにフルマラソンを走ったが仕事が年々忙しくなり、練習が積めなくなる。走ってもなんとかサブ3をする程度だった。
39歳の時にハーフマラソンのラスト400mで左足くるぶしの腱が脱臼し、そこからは怪我との戦い。
40歳本厄の年に結婚を機に仕事も転職。時間が取れるようになり練習に力を入れるも、今度は子供が産まれ、育児とランニングの両立を目指し走る時間を確保出来るのは早朝しかない!!と早朝練習の生活が始まる。
しかし、記録会で走るもタイムは年々自己ワーストを更新していくばかり…こんなのではダメだ!!と思っていたところにナイキが今や主流となっている厚底シューズ・ヴェイパーフライ4%、ズームフライを販売!!
ナイキ好きの自分はこれは絶対履くしかないと購入し、早朝から本格的にインターバル練習をやりだす。少ししてインスタをスタート。

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そうすると、インスタでよく目をするのはアミノサウルスの嵜本さん!!市民ランナーで3週連続サブ40してるってハンパない!!ということですぐさまアミノサウルスを検索!!早速購入し、飲んで次の日の疲労回復感がハンパないことを実感!!アミノサウルスのおかげで早朝練習がしっかり出来るようになり、ベースサウルスで免疫ができたのかあまり風邪を引かなくなった。

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これからがマラソン人生
第2章の始まり

さぁ、これからっ!!と思っていたが2人目が産まれ再び子育てに専念。今も早朝で出来る限り時間を取って走る生活を送っている。
1人で早朝練習オンリーでやっているのもあり、早朝練習では走れるのにどうも昼間のレース、集団で走る感覚がなかなか戻らなくて記録は出ない状況が続いている。しかし、現在いろんな練習方法や体幹トレーニングを取り入れ、昼間の練習も増やして来年50歳を迎える年からが飛躍する時と思いこれからも日々努力し、子供と一緒に成長する!!これからがマラソン人生の第2章の始まり。

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