KOHEI MATSUMOTOSAURUS MAGAZINE 2021/12

2021/12

ピンチをチャンスに変える〜弱視のサッカー選手として第一線への復帰を目指す松本光平選手の新たな挑戦〜

Episode : KOHEI MATSUMOTO

※このインタビューは2021年9月に行われました

SAURUS JAPANは松本光平選手とサポート契約を締結

松本光平さんは2019年12月にオセアニア王者のヤンゲン・スポール(ニューカレドニア)の一員としてFIFAクラブW杯に出場した経験を持つサッカー選手だ。現在はオークランドシティFC(ニュージーランド)に在籍し、2021年12月開催予定のFIFAクラブW杯出場を目指している。

しかし、2年前とは違うこと。

それは、練習中の不慮の事故によって現在、両眼の視力をほぼ失った状態であるということだ。しかし、32歳の松本さんは「良いチャンスだと捉えている」と前向きに現在もトレーニングに励んでいる。

どんな境遇でも挑戦し続けるプロフェッショナルな男。
そんな松本さんの現在の心境についてインタビューした。

2019年にFIFAクラブW杯に出場した松本さん(中央)

6年越しのクラブW杯出場が
叶った翌年に...

大阪府出身の松本さんは幼少期からサッカーを始め、C大阪ジュニアユース、G大阪ユースでプレー。高校卒業後はイングランドの名門チェルシーFCの下部組織に所属し、その後6年間はオセアニアの5ヵ国でプレーを経験し、2019年のクラブW杯に日本人で唯一の出場を果たした。

「『クラブW杯に出場する』という目標を決めて、オセアニアでのプレーを選択したのですがそんな簡単に1年目から出れる訳ではなくて...。それでも、どうしても出たくて6年かかったですが、やっと出場が叶いました」

しかし、目標が叶ってから半年後に悲劇が起こってしまった。

2020年5月の自宅でのトレーニング中に松本さんは不慮の事故で両目を損傷。視力が戻る見込みは殆ど無い状態だったが、日本に帰国後すぐに手術を受けた。失明こそ免れたが、右目の視力はほとんどなく左目も弱視のままである。

日本に帰国後に緊急手術を受けた

2020年は日本で治療を受けながらリハビリの日々が続いたが、「自身の現在のプレー動画をたくさん送って猛アピールした」と、12月に古巣のオークランドシティ(ニュージーランド)との契約に至った。

その原動力は「再びクラブW杯の舞台へ立ちたい」という強い想いだ。
しかし、コロナ禍の影響から感染対策が徹底されているニュージーランドへの入国や隔離はハードルが高く、松本さんは現在も日本でのトレーニングを余儀なくされている。

サッカー以外の
アスリートからの学び

松本さんにとって、リハビリの過程で新たな発見がいくつもあった。視力を失うまでには意識しなかった点字や点字ブロックの存在が大きくなり、視覚障がい者としての日常を1つ1つ体験していく。

2020年の手術から2ヶ月後にはランニングの練習を再開したが、以前とは違って弱視で真っ直ぐ走れずにふらつき、気分が悪くなることもしばしば。それでも、トレーナーから出されるメニューと向き合って練習に精を出した。

ピッチへの復帰のために地道に練習を重ねる

その後、松本さんはトレーナーの紹介でSAURUS JAPAN代表の嵜本晃次と知り合う。アミノサウルスなどのサプリメントはその頃から活用しているが、目標に向かってトレーニングを重ねる嵜本のアスリートとしての姿に感銘したという。

「サッカーでの体力テストでヨーヨーテスト(シャトルラン形式の体力測定テスト)というテストがあるのですが、嵜本さんはそのテストでも相当高い数値を出す人だと聞いていて。そんな凄い人と一緒に走ってみたいと思いましたね」

松本さんはサッカーの練習以外にもランニングを通じて様々な出会いを経験し、自身のパラアスリートとしての可能性についても考えるキッカケがあった。

今年開催された東京パラリンピック男子1500mのT11(全盲)クラスで銀メダルを獲得した和田伸也さんと、JPA日本パラ陸上競技連盟の呼びかけによって一緒に走ったことがあるという。

和田さんは20歳で視力を失ったが、30代からパラアスリートとして活躍し、ロンドン、リオ、東京とパラリンピックでは3大会連続でメダルを獲得。さらに、リオの時よりも東京パラリンピックでの1500mのタイムのほうが10秒速く、44歳での驚異的な4分5秒27の日本新での銀メダル獲得だった。

「まだ全速力で走れるほどではない」というが練習には全力を尽くす

「和田さんの活躍を聞いて、30歳になってから陸上を始めても『年齢って関係ないんだな。トレーニングを続ければまだまだいけるのかな』と思うようになりました。和田さんのように40代でもタイムを伸ばせるのかなと」

松本さんにとって、サッカー以外のアスリートとの出会いも大きな刺激となっている。

ロービジョンフットサルという新たな競技への挑戦

ピンチを“新たなチャンス”と捉える
プラス思考

松本さんが自身のパラアスリートとしての可能性を考えた時に、2024年にフランスの首都パリで開催されるパラリンピックの存在を挙げた。

「弱視のT12クラスというカテゴリーでパラ陸上の大会に出場することができます。100mや1500mなど色んな種目にチャレンジしてみたいですね」

今年には新たなチャレンジとしてパラ陸上の試合に出場予定だったが、残念ながらコロナ禍で中止となってしまった。

しかし、パラ陸上だけでなく、今年の7月には弱視のフットサル選手によるロービジョンフットサル日本選手権にCA SOLUA 葛飾の一員として出場して準優勝を経験。
2023年にはロービジョンフットサルの世界大会が開催予定と、こちらにも意欲をみせているが、それでもこれまでと同じようにサッカーのピッチに復帰することを今の1番の目標としている。

「陸上のトレーニングも同時並行ですが、トレーニングの種類は全部やろうと思っていて。今は朝から晩までトレーニングが充実しています。一般的なことを地道に積み上げていきたいです」

しかし、この先が茨の道だとわかっていながらも、松本さんが挑戦し続けられるのはなぜだろうか。

「心の持ちようで、良いチャンスだと捉えています。クラブW杯に出場するという目標は昔から変わっていないですが、むしろ選択肢が広がったと思っていて。視力を失ったからといってマイナスには思っていないです」

今年にかけてサッカー以外のアスリートや弱視のフットサル選手との経験を重ねる松本さんだが、視覚障がいを持つ子供たちとも交流を重ねて刺激を受けている。
「7歳で視力を失ったサッカー少年が、フラフラになりながらでもサッカーの練習を続けて今では普通にサッカーができるようになったそうです。その子からメッセージをもらってサッカー用の競技用ゴーグルのことを知りましたが、ヒントやモチベーションになりましたね」

松本さんはサッカーの第一線への復帰に向けてトレーニングを続けながらも、弱視のサッカー選手として同じ境遇に置かれている人のことも今後は積極的に発信していきたいという。

松本さんにとってゴーグルは必需品である

ピンチをチャンスに変える。

弱視のサッカー選手として第一線への復帰を目指す松本光平選手のサッカーへの情熱は途切れることはない。彼の新たな挑戦はまだ始まったばかりだ。